【業務時間6割削減を実現】複数のAIを意識させない「Sphinx」

生成AIの活用が企業にとっての課題となる中、様々なツールが乱立し、現場の従業員がそれらを使いこなすための学習コストが新たな負担となっています。

LINEヤフー株式会社が社内開発したAIエージェント『Sphinx(スフィンクス)』は、広告営業部門において利用率8割超、関連業務時間6割削減という驚異的な成果を上げ、社内のAI活用を次のステージへと押し上げています。

『Sphinx』は、ユーザーが目的を伝えるだけで、背後にある複数の専門ツールを自動で連携させ、最適な答えを導き出すプラットフォームです。なぜ同社はAIエージェントという形を選んだのか。そして、いかにして現場への浸透を成功させたのか。今回は、プロジェクトを牽引された熊谷さん、小川さん、迫川さんに、詳しくお話を伺いました。

▼プロフィール
熊谷 俊宏 (Kumagai Toshihiro)
LINEヤフー株式会社
コーポレートビジネスドメイン ビジネスPF SBU データソリューション企画開発ユニット
AI Agentディビジョン

小川 知紘 (Ogawa Tomohiro)
LINEヤフー株式会社
コーポレートビジネスドメイン ビジネスPF SBU データソリューション企画開発ユニットAI Agentディビジョン

迫川 凌  (Sakogawa Ryo)
LINEヤフー株式会社
Data&AI CBU AI CBU Marketing PFユニット
Development2ディビジョン

複数のツールを意識させない”一つの箱”。スキル差をなくすAIエージェント『Sphinx』

Q.まず、『Sphinx』がどのようなものか、その開発背景とコンセプトを教えてください。

小川さん: 昨今、業務で利用するツールは多岐にわたり、それぞれUI/UXが異なるため、営業担当者が各ツールの使い方を個別に勉強して使い分けるという負担が生じていました。この「ツールを学習する」というスキル習得には時間がかかり、結果としてツールを使いこなせる人とそうでない人でスキルの差が生まれてしまうという課題がありました。

ユーザーが本当にやりたいことは、ツールを使い分けることではなく、目的を達成するための答えを得ることです。そこで私たちは、ユーザーが『Sphinx』という一つのツールと会話するだけで、裏側で動いている複数のツールを意識することなく業務支援を受けられる状態を目指しました。これが『Sphinx』の基本的なコンセプトです。

私たちは『Sphinx』をよく「箱」のようなものだと表現します。接続するツールによって、誰向けの、何ができるエージェントになるかが変わる、汎用的な箱を開発しているというイメージです。例えば、社内マーケター向けにはマーケティングツール群を接続した『Sphinx』を、広告担当者向けには広告用のツール群を接続したものを提供する、といった形です。

Q.AIエージェントという形を選ばれたのは、ユーザーがやりたい業務や目的に対して、AI側で最適なツールを判断・実行してもらうことで、より効率化に繋がると考えたからでしょうか。

小川さん: はい、その通りです。ユーザーは「何をしたいか」を伝えるだけで、どのツールをどう組み合わせれば最適かを『Sphinx』が自動で判断し、回答を生成します。これにより、ツールの専門知識がない人でも、誰もが等しく高度な業務支援を受けられる状態が理想です。

Q.当初の企画から現在までに、役割や価値に変化はありましたか?

迫川さん: はい。生成AIやAIエージェントが業務の窓口として使われるようになり、Slackなど多くの企業で使われている汎用ツールとAIエージェントが連携するケースも増えてきました。そうした中で、我々が単体のエージェントを提供するというよりも、他の様々なエージェントとも連携させて、より業務全体を便利にしていくという点に視点が移ってきたのが、初期構想から変わったところだと思います。

ビジネス職への浸透を見据えた技術的工夫と、1年未満でリリースしたアジャイル開発

Q.『Sphinx』はどのような体制で開発されたのでしょうか?

小川さん: 体制としては、各部門のエンジニアとアナリストを合わせて10名ほどのチームで進めています。ビジネス側のメンバーはほぼおらず、私が各領域の要望を吸い上げる形で進めているので、ほぼエンジニアとアナリストで構成されたプロジェクトです。

Q.ビジネス職の方々へ展開する上で、技術的に工夫した点はありますか?

熊谷さん: ユーザーの要望をできるだけ汲み取ってソリューションを提供するという点を意識しました。AIは依頼した内容に対して必ずしも完璧なアウトプットを返すわけではありません。そこで、ユーザーからのフィードバックをLLMが受け取って改善できる仕組みを重視しました。具体的には、ユーザーに「これでどうですか?」と聞き返す「Human-in-the-Loop」という仕組みと、毎回聞くのはコストがかかるため、アウトプットに対してLLM自身が良し悪しを判断する「Reflection」という機構を導入し、ユーザーの意図をより深く汲み取ってアウトプットを提供する技術を意識しました。

Q.アジャイルに開発を進められたと伺いました。社内ユーザーからのフィードバックは、どのようにプロダクト改善に活かしましたか?

熊谷さん: はい。例えば、一つの分析計画の粒度をもう少し大きくして分析するように調整するなど、実際に触ってもらった社員からのフィードバックを直接的に活かす形で改善を進めていきました。

小川さん: 開発の話で補足しますと、構想から2025年8月の最初のリリースまで1年経っていません。その短い期間で開発を進め、ユーザーにテストをしてもらいながらフィードバックを高速で回していったのは、今どきの開発スタイルかなと思います。このスピード感でプロジェクトが進んだという点は、大きな特徴です。

利用率8割超、業務時間6割削減。過去の資産を活かす思想が社内アワード受賞の決め手に

Q.社内に初めて展開した際の、社員の方々の反応はいかがでしたか?

小川さん: 正直、見せる前は「既存の社内AIツール(SeekAI)との違いがわからない」という声もありました。しかし、実際にテストしてもらったところ、皆さん、それまで様々なツールを使い分けることに課題を感じていたようで、「すごく便利だ」というのが率直な感想でした。まさに我々が捉えていた課題に対して、作ったものが的確に刺さったという感覚でした。

Q.具体的な定量成果は出ていますか?

小川さん: はい。広告営業の担当者においては、現在9割以上が利用権限を持ち、そのうち8割以上が実際に日常業務で使っています。業務効率に関しても、昨年(2025年)9月末時点で測定したところ、関連業務の時間を約6割削減できたという結果が出ています。主な要因は、これまで人に聞いたり、自分で時間をかけて探していた社内の情報検索、例えば「過去のこの情報を探して」「この広告に関する情報が知りたい」といった作業が数分で終わるようになったことと、クライアント向けの資料作成が大幅に効率化されたことです。この2点で一気に6割削減できたのは、非常に大きな成果だと考えています。

Sphinx導入による定量的成果(広告営業部門)
利用権限保有率 9割以上
アクティブ利用率(権限保有者内) 8割以上
関連業務の時間削減率 約6割削減

Q.社内アワードも受賞されたそうですが、受賞の決定的なポイントは何だったのでしょうか。

小川さん: はい、「データアワード」という、社内のデータをいかに活用したかを評価する賞を受賞しました。評価されたポイントは大きく二つあると考えています。一つ目は、我々の『Sphinx』が、これまでに皆さんが作ってきたツールや蓄積してきた知見といった過去の資産を無駄にせず、誰もがアクセスできる形にしようという思想に基づいている点です。過去の資産を活かし、将来的な取り組みも吸収できる新しいAIの形を提示したことが評価されました。

もう一つは、世の中的にもAI活用の成功事例がまだ少ない中で、先ほどお話しした「業務時間6割削減」や「利用率8割」といった具体的な成果を出し、一気に利用が広がったという実績です。この二つが高く評価していただけたのだと思います。

壮大なビジョンより「目の前の課題解決」、現場の仲間を巻き込むボトムアップ型浸透戦略

Q.多くの社員がすぐに利用を始めたようですが、それでもなかなか利用に繋がらなかった方々もいたかと思います。全社的に浸透させるために、どのような工夫をされましたか?

小川さん: 訴求ポイントを工夫しました。立ち上げ当初の理想は、業務の全てを自動化してくれるようなエージェントでしたが、いきなり「何でもできます」と展開しても、おそらく使われなかったでしょう。そこで訴求ポイントを、「今皆さんが苦労しているツールの使い分けが不要になります」という、より手前の、顕在的な課題解決に絞りました。「業務を自動化します」と言われてもピンとこない営業担当者も、「今の課題を解消します」というメッセージなら響くと考えたのです。これが、利用が一気に広がったきっかけです。

Q.最初のきっかけ作りが重要だったのですね。

小川さん: そうですね。ただ、リリース自体は当初の理想に近い、一連の業務をある程度自動化できる高機能な形で行いました。すると、面白いことに、テストユーザーの中から、「これは単なるツールの使い分け解消だけでなく、自分たちの営業のあり方を変えるものだ」と本質的な価値に気づき、「もっとこのツールを良くするためにフィードバックしよう」と主体的に考えてくれる方たちが数名現れ、自発的にチームを組んでくれたのです。

開発部門から「新しいツールです」とトップダウンで展開するとハードルが上がりがちですが、現場の仲間が「これ、すごく良いから使った方がいいよ」と薦めてくれるボトムアップの形になった。「あの人が言うなら使ってみよう」という流れが生まれ、一気に利用が拡大しました。営業部門の中に強力な味方ができたのが非常に大きかったです。

迫川さん: データ部門での展開においても工夫しました。新しいツールを導入する際、いかにユーザーをそこに呼び込むかが常に課題でした。そこで今回は、既存のメール配信設定ツールやマーケティング分析ツールなど、普段から使っているツールの中に『Sphinx』のチャットUIを埋め込むというアプローチを採用しました。既存の業務フローの中で自然に使ってもらえるようにした点が、浸透を後押ししたと考えています。

「Sphinxに繋ぐ」が共通言語に。部門を超えてAI活用を推進するハブが誕生

Q.『Sphinx』の導入後、社員の方々の意識や行動に変化はありましたか?

小川さん: これは非常に面白い変化でした。営業部門のトップが「全部Sphinxに繋ごう」という方針を示してくださり、現場も便利に使ってくれる中で、ツール開発者側の意識も変わりました。「自分が作ったツールをどう展開するか」ではなく、「まず作ってSphinxに繋ぐこと」が明確なゴールになったのです。

また、ユーザー側からは「自分の業務をもっと楽にするには、こういうツールが必要だ」という具体的な要望が我々に多く寄せられるようになりました。その要望を我々がツールの開発チームに流すことで、ユーザーのニーズと開発者の思いが『Sphinx』をハブとして繋がったのです。これにより、「『Sphinx』でみんなの業務を変えていくんだ」という意識が全社的に醸成されたのが、一番大きな変化だと思います。世の中全体が「AIで頑張ろう」となっていますが、「どう頑張るのがゴールなのか」という具体的な道筋が見えた、という点が大きいですね。

エージェント同士が会話する「A2A」の世界へ。社内ツールから外部向け「マーケティングエージェント」へ進化

Q.今後、『Sphinx』を機能・開発面でどのように進化させていく予定ですか?

熊谷さん: 現在、社内ではマルチエージェントプラットフォームとして展開できていますが、今後は社内の各部署で様々な専門エージェントが作られていくと考えています。その次のステップとして、エージェント同士を会話させる、いわゆるA2A(Agent-to-Agent)にも積極的にチャレンジしていきたいです。

Q.A2Aによって、どのような世界を想定されていますか?

熊谷さん: 我々は様々なサービスのデータを取り扱う事業会社であり、社内には膨大なデータという資産があります。A2Aが実現した未来では、各データやリソースに関する知識を持ったエージェントが複数存在し、それらが協業してデータを取得したり、レポートを作成したりするエージェントのネットワークを構築できると想像しています。これまでアナリストやエンジニアが手作業で対応していたことを、エージェントを通して誰もが実現できる世界です。

小川さん: 熊谷の話に補足しますと、二つの軸で考えています。一つは、『Sphinx』が人間の組織図のように、各事業部や特定領域に特化した小規模なエージェント群を束ねる上位の役割を担うという方向性です。もう一つは、我々の『Sphinx』が必ずしも最上位にいる必要はない、ということです。例えば、ChatGPTやGeminiなどがさらに進化した機能をリリースし、それらを全社で使うようになった時、広告部門のナレッジが詰まった『Sphinx』を、それらの優れた外部エージェントから呼び出せる一部になる方が柔軟性が高いでしょう。この両方の軸を考える上で、A2Aが必要になってくると考えています。

Q.今後の外部展開について、どのような企業や業界をターゲットに考えていますか?

小川さん: 現在、ものすごいスピードで検討中ですが、我々の広告部門には「Connect One構想」というものがあり、その中で企業や店舗の皆様との接点として「マーケティングエージェント」が位置づけられています。この「マーケティングエージェント」の実態が、外部向けに展開する『Sphinx』になるという考え方で進めています。

『Sphinx』は社内営業の知見を集約し、業務を効率化するツールです。この価値を、広告主である企業はもちろん、その広告を管理・設計する広告代理店の皆様にも直接体験していただく。こうしたtoB向けの展開を予定しています。

スキルに関係なく誰もが価値を創出できる世界へ

Q.最後に、『Sphinx』を通じて実現したい世界観やビジョンをお聞かせください。

熊谷さん: 我々は多様なサービスを持つデータカンパニーです。それらを基盤として、エージェントがあらゆるデータと連携し、ユーザーのやりたいことを実現できる世界を作りたいです。今後『Sphinx』は、そうした様々なエージェントを束ねる存在として、拡張性高く発展させていきたいと考えています。

迫川さん: 『Sphinx』がハブとなって様々なデータと繋がることで、データの利活用を本当に進めたいです。また、『Sphinx』にユーザーの「こういう分析がしたい」という要求が蓄積されることで、全社的に必要なデータが見えてきます。これはデータの強化に繋がり、ひいては各サービスの施策精度向上に貢献し、最終的にはエンドユーザーの皆様のもとに本当に欲しい商品や情報がスムーズに届く世界に繋がると信じています。

小川さん: もともとのコンセプトである「使う人のスキルに関係なく、誰もがやりたいことを実現できる世界」を追求し続けたいです。その上で、ユーザーを助けるためのナレッジを『Sphinx』をハブにして集約し、それをまたツールにフィードバックしていく。そんなサイクルを生み出す存在になりたいです。そしてこの取り組みを他の部門にも展開していくことで、全社的な変革をリードできるプロダクトにしていきたいと考えています。