ゲスト
“値上げしない”SaaSを掲げるinvoxの、AI活用のリアルを届ける語り手
株式会社invox 広報 坂元さん
SIerでのエンジニア経験を経て、株式会社invoxに入社。カスタマーサクセスとして商談から導入後支援までを3年半一貫して担当した後、広報部門の立ち上げに参画。現在はマーケティング担当と連携しながら広報業務全般を担う。

この事例のポイント
- 個人の利用差を埋めるワークショップの実施方法:導入するだけでは「アカウントがあるだけ」になる壁に対し、各部門の代表者が集まるワークショップを開催。得意な人がプロンプトを仕組み化し、設定だけで使える状態を作った。
- 全社テレワーク環境でのAI活用共有の切り分け方:隣の人がどうAIを使っているか見えない課題を打破するため、個人単位の工夫に頼るのをやめ、業務課題を抱えるチームごとにプロジェクト化して推進した。
- 地道な事実確認でハルシネーションを防ぐ方法:画一的な機能のご質問はAIで確認を効率化しつつ、運用に関わる部分は営業担当自身が検証する方法。困難な場合は業務知識の深い導入担当チームと連携し、正確性を担保するフローを確立した。
- 自社サービスの毎月のアップデートを追い風にする方法:業務が雪だるま式に増える環境を逆手に取り、既存業務を見直し、AIを補助的に活用して生産性を高める必要性を全社で共有することで、AI活用の継続性を生み出した。
リリース作成8時間から3時間に。営業の周辺業務200時間も改善対象へ
Q. AI本格導入からの約1年半で、各部門にどのような定量的な成果が生まれていますか。
A. マーケや広報での手作業削減に加え、営業部門で200時間以上の周辺業務を改善対象として可視化
坂元さん: 私たちが主に取り組んだのは、マーケティング、広報、お客様のサポートを担当する導入部門、情報システム、そして営業と開発といったほぼ全社にあたる部門です。まずマーケティング部門では、SEOやLLM対策の数値モニタリングにおいて、従来はCSVデータを手作業で取得してグラフ化・更新していた部分をAIで削減しました。
私が所属する広報部門では、公開前提で整理した情報をもとに、お客様のインタビュー記事やプレスリリースの構成案・草案作成の補助としてAIを活用しています。以前は自分の頭でゼロから叩きの文章を考えており、プレスリリースを1本作成するのに丸1日、約8時間かかっていました。しかし現在では、AIでベース部分を作成することで2〜3時間程度に短縮され、チェックなどの確認作業を含めても半日程度で完了するようになっています。
サポート部門では、毎月の機能アップデートに伴う膨大なヘルプページ作成において、誤字脱字のレビューにAIを導入しました。また、情報システム部門でも、SaaS導入時にお客様から求められるセキュリティチェックシートの回答作成において、社内で確認済みの回答方針や表現ルールをもとに、定型的な回答文の下書き作成を補助する用途でAIを活用する運用ができています。最終的な回答内容は、担当者が確認しています。
さらに営業部門では、商談後対応やお客様へのご連絡といった周辺業務にかかっていた時間を棚卸ししました。その結果、200時間以上が改善対象として可視化されたのです。まだすべてを削減できたわけではありませんが、AIを順当に活用していけば、これらの業務を6割程度に圧縮できる見込みが立っています。
個別最適の既存ツールから脱却。情報検索と判断材料の共有をAIで効率化
Q. 本格的にAIを導入しようと決断された背景には、どのような課題や動機があったのでしょうか。
A. 低価格提供を維持するための自社生産性向上と、既存ツールでは解決できない全体業務の課題突破
坂元さん: 背景をお伝えする上で弊社のサービスについて触れますと、私たちは業務効率化のSaaSを業界最安水準で提供しています。少子高齢化で働き手が減り生産性が下がる社会において、多くの方に使っていただきたいという思いから「値上げをしない」と決めているのです。とはいえ、事業成長に伴って必要な体制やシステム投資も増えていくため、持続的にサービス価値を提供し続けるには、自社の運営業務を効率化し、生産性を高めることが重要だと考えています。この「知恵と工夫で自社の生産性を上げる」という考え方が、今回のAI活用の根本的な動機です。
具体的な課題として棚卸しで見えてきたのが、大きく4つありました。1つ目は、情報を探すことに最も時間がかかっていた点です。お客様からのメールに対し、機能の使い方をまとめた資料を探すだけで時間を奪われていました。2つ目は、データの整理や確認の負荷です。商談議事録の作成やメール作成など、顧客対応そのものに付随する業務に多大な時間がかかっていました。
3つ目は、判断の属人化です。弊社はお客様の要望に合わせて個別の機能カスタマイズを行いますが、仕様通りに開発できるかの判断が営業担当の経験年数に依存し、対応時間にばらつきが生じていました。そして4つ目は、AI活用の個人差です。すでに日常生活でAIを使っているメンバーもいましたが、「導入したから使って」と伝えるだけでは、どの業務に使えばいいかの判断が分かれ、浸透していかなかったのです。
Q. 情報検索や顧客対応であれば、ダッシュボードや問い合わせボットなど既存のツールもあったと思いますが、なぜAIツールだったのでしょうか。
A. 既存のツールは一つの業務を切り取った部分最適にとどまり、全体の業務デザインの課題解決に至らなかったため
坂元さん: もともとそういった既存のツールも利用はしていました。しかし、それらのツールはどうしても一つの業務を切り取って個別最適化されているものが多いのです。全体の業務デザインを見たときに、「ここに時間がかかっている」という課題に対して、専用の機能を持つツールを入れたとしても、結局は部分最適にしかなりません。SaaSのサービス全般に言えることかもしれませんが、この全体最適の壁を越えるために、AIツールという解決策に行き着きました。
得意なメンバーがAI活用の仕組みを構築し、設定だけでAIを使える仕組みを現場に展開
Q. 課題解決に向けて、具体的にどのように業務フローや環境を整えていったのでしょうか。
A. AIツールを導入し、推進チームの代表者がカスタマイズした仕組みを構築して現場に提供
坂元さん: 単に導入しただけでは「プロンプトに何を打てばいいのか」と戸惑う従業員もいました。そこで、個人的にお願いするのではなく、各部門の主要メンバーを集めたワークショップを開催し、ある程度プロンプトの型を決めたり、得意な人間が仕組みを作る方針を取りました。現場のメンバーは、その仕組みを自身のアカウントで設定するだけで使えるような環境を整えたのです。お客様の規模や案件にかかる時間がばらついている中で、チームとして仕組み化して提供する形が一番普及に繋がりました。
Q. AIにどのようにコンテキストを理解させ、正確な回答を引き出しているのでしょうか。
A. 公開ヘルプページを参照しやすい形に整理し、営業担当が事実確認を行うフローを確立
坂元さん: 例えば、導入を推進しているチームが作成したウェブ上の公開ヘルプページをPDF化し、AIを使って参照しやすい形に整理しています。お客様からのお問い合わせ対応では、公開ヘルプページや社内で確認済みのナレッジを参照しやすくし、関連情報や回答案を整理する補助としてAIを活用しています。個別の運用や顧客固有の事情を含むご相談については、営業担当が内容を確認し、必要に応じて導入担当チームとも連携しています。
また、お客様への回答は、営業担当が責任を持って対応しています。画一的な機能に関するご質問については、AIを補助的に活用することで確認作業を効率化していますが、運用に関わるご相談はどのように実現できるかなどは営業担当自身が泥臭く検証を行います。必要に応じて業務知識の深い導入担当チームとも連携しながら、正確な情報をお伝えすることを徹底しています。
見えない利用格差の壁を部門代表のワークショップとプロジェクト化で突破
Q. 全社テレワークという環境下で人を巻き込む際、最初に直面した壁と、それをどう乗り越えたのかを教えてください。
A. テレワークゆえの「見えない利用格差」の壁を、部門ごとのプロジェクト化とワークショップで解消
坂元さん: 私たちの会社は全社テレワークで業務を行っているため、隣の人がAIをどのように使っているかを把握する術がありませんでした。そのため、ツールを導入しただけでは「アカウントはあるけれど使っていません」という状態に陥りやすく、個人単位の工夫に頼って進めるのは無理だと痛感しました。日々の業務に集中している中でも、AI活用を無理なく広げるには、個人の工夫だけに頼らない仕組みが必要だと気付きました。
そこで、トップダウンで一気に全社展開するのではなく、まずは「もっと効率化したい」という現場の要望を拾い、必要に応じてチームを追加していく形をとりました。そして、各部門の担当者1名ずつが集まるワークショップを立ち上げ、プロジェクトとして仕組み化を進める方針に切り替えました。個人に委ねるのではなく、プロジェクト化して早めに取り組んだことが、この壁を乗り越える鍵だったと思います。
Q. 広報部門の実務において、プレスリリース作成の時間を短縮する過程でぶつかった困難はありましたか。
A. 複数名で同じ品質のアウトプットを出すためのプロンプト調整に苦戦し、試行錯誤を繰り返して構築
坂元さん: 広報部門には複数名の担当者がいるため、全員が同じくらいのクオリティでプレスリリースを出せるようにする必要がありました。この困難に対しては、他のメディアが公開している事例などを参考にしながら、実際に手を動かしてプロンプトを調整していくしかありませんでした。私たちは毎週のようにプレスリリースを出しているため、その都度試行錯誤を繰り返し、自分たちが求めるアウトプットが出せるフローを時間をかけて作り上げていきました。
Q. 推進する中で、AIに対するマイナスな意見や現場からの懸念・戸惑いの声などは上がらなかったのでしょうか。
A. 技術に知見の深いメンバーが多く、AIの得意・不得意を理解した上で現実的に活用を進められたため、大きな反発はなかった
坂元さん: 大きな反発はありませんでした。技術に知見のあるメンバーが多く、AIの得意・不得意を理解した上で、どの業務にどう活用するかを現実的に検討できたことが大きかったと思います。弊社は前職でエンジニアを経験しているなど、開発や技術的なところに知見の深いメンバーが多いため、「AIは何でもできるんでしょう」といった浅い期待で入っていくメンバーはほとんどいませんでした。
何より、自社のサービスをより多くの方に届けたいという思いが全社で強く一致しています。そのためには手に取りやすい価格での提供を維持し続けることが不可欠であり、自社の運営コストを下げる努力は全員の共通認識です。今の業務がより良くなるのであれば、できることはみんなでやろうという文化が根付いているため、AIの活用もスムーズに受け入れられました。
Q. 多くの企業がAIの継続的な活用や定着に課題を抱える中、貴社で1年以上にわたって継続的に活用されている理由は何でしょうか。
A. 毎月行われる自社サービスの機能アップデートという変化が、継続的な業務改善の必要性を生み出しているため
坂元さん: 大きく2つの理由があると考えています。1つ目は先ほどお話ししたプロジェクト化・仕組み化です。そして2つ目は、自社が提供するサービスの機能アップデートが毎月あるという、激しく変化する環境です。様々な業務課題を持つお客様にご提案できるサービスの幅が毎月広がっていくようなものなので、その新機能をお客様にうまく説明するために、自分たちのやることは雪だるま式にどんどん増えていきます。
しかし、今までやってきた業務も並行して行う必要があるため、従来のやり方のままでは、より高い品質とスピードを両立し続けることが難しくなります。だからこそ、これまでの業務を見直し、AIを補助的に活用しながら、新しい領域に挑戦する時間を作ることが常に求められています。この「変化がずっとある」という環境こそが、AI活用が社内で継続している最大の理由だと思います。
AIは仕事を奪わない。人間が判断や提案など価値の高い時間に集中する
Q. 今後さらにAIを活用していく上で、注力していきたい業務領域や次に乗り越えるべき課題について教えてください。
A. 営業担当のメール返信作成補助と、業務知識を参照しやすくする仕組みによる社内確認の効率化
坂元さん: 具体的に取り組みたい領域の1つ目は、最も時間がかかっている営業担当のメール返信です。画像などを使って複雑な情報をお客様にお伝えしているため、より分かりやすい文章を今より短い時間で作れるようにしたいと考えています。ただ、すべてをAIに任せるのは理想的ではなく、最終的に判断するのは人間なので、あくまで「メール返信案の作成補助」としての仕組み化を目指しています。
2つ目は、社内問い合わせの圧縮です。現在は人数の多い営業担当が、少人数の導入担当に業務知識の確認を行っています。これを、業務知識を参照しやすくするチャット形式の仕組みにできれば、営業担当が必要な情報により早くアクセスでき、必要に応じて導入担当とも連携しながら、お客様へよりスピーディで質の高いご提案が可能になります。具体的なツール選定はこれからですが、毎月の機能変更に追従できるメンテナンス性と使いやすさを重視して検討していきます。
Q. 最後に、読者へのメッセージをお願いします。
坂元さん: 私たちは、お客様の業務効率化を支援するサービスを作っているからこそ、自社の業務改善にも真剣に向き合っています。お客様の人数が増えても対応の質を落とさず、質の高いものを低価格で多くの方にご利用いただくため、AIツールを業務整理や文章作成の補助として活用しながら、最終的には人が責任を持って確認・判断することで、顧客対応の質とスピードをさらに高めていきます。
AIは人の仕事を単純に置き換えるものではありません。人が人生において価値の高い時間や、高度な判断、提案といった部分に集中できるようにするための「補助」であると考えています。AIを使って生まれた時間を、より良いサービスづくりや、お客様のより良い人生のために使っていただけるよう、これからも力を尽くしてまいります。