導入したAIツールが現場で使いこなされず、一部の社員しか利用していない——そんな「AI定着の壁」に悩むDX担当者の方は多いのではないでしょうか。
千葉工業大学で4年前(2022年)から提供されている「web3/AI概論」では、プログラミング未経験の学生たちが生成AIを活用し、次々とwebアプリやAIエージェントを開発しています。数百人規模のオンラインコミュニティをベースに、成績やインセンティブに連動する2種類の独自トークンを用いた「学びあい」の仕組みを構築し、学生たちの自律的な学習を生み出しているのが最大の特徴です。
本記事では、座学にとどまらない実践的な授業を設計した背景、過去の課題を記憶して個別サポートする3種類のAIエージェントの仕組み、そして自律的なコミュニティを醸成するゲーミフィケーションの仕掛けについて、同講義の講師を務める西村奈々さん、下瀬浩一さん、運営・広報を担当する品田美帆さんに伺いました。
▼西村さん

▼下瀬さん

▼品田さん

初心者でも一発でwebアプリを開発できる実践型のAI講義
Q. まずは「web3/AI概論」の授業概要と、皆様の役割について教えてください。
西村さん: 私はこの講義の全体設計と、生成AIやweb3の実践的な使い方に関する講義を担当しています。合わせて、講義で活用するアプリケーションもAIを使って開発しています。
授業では、AIやプログラミング未経験の学生でも、生成AIを使ってwebアプリやゲームなどを実際に作ってもらいます。まずは形にして、そこからどんどんブラッシュアップしていく実践的な内容です。数百人の学生や社会人がDiscord上に集まり、ワイワイ意見交換しながら成果物をシェアするスタイルで進めています。
下瀬さん: 私は西村さんと一緒にダブルヘッダーで授業展開の戦略策定・インセンティブ設計と講義を行うとともに、学生へのサポートを担当しています。
品田さん: 私は大学側や学生との調整役を担いつつ、広報としてプレスリリースの作成や動画制作などを中心に行っています。

「webコーディングの苦手意識」を払拭。4年前の開講以来、毎年進化し続けるカリキュラム
Q, 2022年という早いタイミングで講義をスタートした背景と、現在のように内容が変化してきた経緯について教えてください。
品田さん: 当時は「web3概論」という名称でスタートしました。web3のトレンドが急速に変化する中で、伊藤穰一さん(学長)から「流行りだけで進んでいる部分があるため、基礎からしっかりと学び、技術者を輩出する授業を作ろう」という提案があったのがきっかけです。そのため、1年目は純粋にweb3のみを扱っていました。
そこから、私たち3人、そして本講義を一緒に開発しているDOU社の石部達也社長の4人で「最後までプロダクトを作り切ることができる授業にしよう」と話し合い、「web3/AI概論」へと名称と内容を大幅に変更し、現在に至っています。
Q. 「最後までプロダクトを作り切る」ことにこだわったのは、学生のwebコーディングへの苦手意識を解決する狙いもあったのでしょうか?
品田さん: そうですね。学生の苦手意識を解決し、実践的なスキルを身につけてもらうためにも、私たちは常にカリキュラムを全く新しいものへとアップデートし続けています。
通常の大学の授業で毎年ここまで内容を変えるのは珍しい形ですが、私たちが千葉工業大学の専任職員ではなく外部から参加している立場であることも、スピード感を持って進化できた理由の一つです。「やりたいことがあればどんどんやりなさい」と認めてくださる環境があり、担当教員自身も「常に新しいことをしなければならない」というスタンスを持っています。私たちもそれに負けないように進化し続けてきた結果です。
教育スタイルを根本から変革。コミュニティで「教え合い、学び合う」ベースを構築
Q. 技術の進歩が非常に早い中で、最新技術を教えるにあたって工夫されているポイントは何でしょうか?
下瀬さん: 教育のスタイルを根本的に変えないと、技術のスピードには追いつけなくなっています。そのため、4年前から「コミュニティ型で教え合い、学び合う」というベースを授業に取り入れたことが非常に大きかったと感じています。最初は私と西村さんで必死に勉強していましたが、学生たちが自主的に発表する場を設けると、受講生のみなさんの熱量が止まらなくなるんです。これが一つの重要なポイントだと思っています。
西村さん: 技術的なやり方といった「How」の部分だけでなく、根底に流れるビジネス理論や基本的な考え方といった「What」の部分をしっかりと伝えるよう工夫しています。SNSなどでバズっている技術は表面的なものが多く、分断が起きていると感じます。自分の中に「これをどう生かしたいか」という強い意志がないと、単に面白い技術として消費されて終わってしまいます。そのため、AIをどう使いこなしていくのか、自分たちでしっかりと考えられるベースの考え方を伝えることを何より大切にしています。
2つの独自トークンとゲーミフィケーションが自律的な学習とサポートを生む
Q. 学生同士が教え合うような環境や組織文化を作る上で、具体的にどのような仕掛けを意識されたのでしょうか?
下瀬さん: ひとつは、西村さんが授業用のポータルアプリを作成し、学生がいつでも授業内容にアクセスでき、全体が分かりやすくなる仕掛けを作りました。
また、活躍した学生に品田さんのプロデュースでYouTube等に出演していただくなど、大学の内外にアピールする広報支援も行っています。普通の学生ではリーチできないような挑戦の場を提供したり、企業の採用担当者にメンタリングに入ってもらって擬似的に企業と触れ合う機会を作ったりと、いくつもの仕掛けを用意することが非常に重要だと思っています。
Q. 学生が壁に当たった時、どのようにサポートをされているのでしょうか?
下瀬さん: 学生自身を視覚的に診断できる仕組みをDOUの石部さんが確立しています。客観的に「自分がどういうコミュニティや授業スタイルで頑張ったのか」をフィードバックできる状態にしています。
西村さん: 今年度は、2種類のオリジナルトークンを運用しています。1つは成績に関わる「JOIN」というトークン、もう1つは学生同士で自由に売買したり「ありがとう」を伝えたりする際に使う「ICHIGO」というトークンです。
お互いに助け合い、感謝の気持ちを伝えるときにICHIGOトークンをプレゼントすると、その履歴がブロックチェーンとポータルアプリに蓄積されていきます。さらに、このICHIGOトークンは別の用途にも使えます。例えば、講義の休憩時間に自分のプロダクトを宣伝する広告枠を買ったり、著名なビジネスパーソンから伴走メンタリングを受ける枠を買ったりすることができます。このような仕組みを通じて、助け合いのサイクルがぐるぐると回るように設計しており、これが強力なサポート体制として機能しています。
下瀬さん: トークンを稼ぐことがインセンティブとなり、教え合いや具体的な活動成果が数字として可視化されます。ゲーム感覚で、レポートの質だけでなく、活動量や仲間を助ける盛り上がりで成績が決まる仕組みです。
多様性を認めることで、学生は目標を設定し、自由に作り、助け合いが自然と促されます。さらに、過去の受講生を中心とした25名のサポーターを配置し、事例紹介タイムを授業内やオンラインコミュニティ内で設けて有力な受講生を盛り上げ、「スター化」させていくゲーミフィケーションも取り入れています。
熱量が上がってくると、夜な夜な学生自身がDiscordで自主的な勉強会を主催し、朝まで議論が続くこともあります。このように、ハードとソフトの両面でインセンティブをかけ、学生同士をマッチングさせて相互に助け合える環境を作っています。
過去の宿題も記憶する3種類のAIエージェントが学生を個別にサポート
Q. 授業内でのAIエージェントの具体的な活用方法について教えてください。
下瀬さん: 授業では3種類のAIエージェントを活用しています。
1つ目は「AI大学講師エージェント」です。課題やプロダクトの壁打ち相手として、宿題の具体的な相談に乗ってくれます。これは昨年度から石部さんが提供してきたAIです。このエージェントは、学生ごとの過去の宿題提出状況を記憶しており、ログインIDに紐づいて「前回の課題を踏まえた次のステップ」の壁打ちをしてくれます。提出すればするほど、学生個人に寄り添ってパーソナライズされていくのが特徴です。
2つ目は「先端技術を体験するゲームエージェント」です。伊藤穰一学長が自ら制作して提供したエージェントで、web3とAIエージェントを掛け合わせたユースケースを想定し、x402という技術を実際に体験できる特別クエストです。
3つ目は、エージェントと対話・雑談したり、技術的な質問をしたり、時にはエージェントへの攻撃や改変などのハッキングを試すことができるエージェントを準備しています。授業の中でもこのエージェントと対話したり実際に動きを見ながら進めており、盛り上がります。また、実はこのエージェントは、宿題の採点支援機能も担っています。
資金がなくても事業を生み出せる学生を輩出し、新しいキャリアパスを提示する
Q. 今後の展望や、授業を通して実現していきたい価値について教えてください。
下瀬さん: 狙っていきたいのは、資金が多くなくても事業を作り、事業家として跳ねていける学生を輩出することです。工学部の学生は、安定した企業に就職するという堅実なキャリアを選ぶ傾向があります。もちろんそれも素晴らしいことである一方で、そうではない新しい選択肢を持つ学生がいてもいいはずです。
AIの世界であれば、自らプロダクトを作り、ベンチャーキャピタルに持ちこみ、若くして起業するという道も選択できるかと思います。そういった新しいキャリアの開拓や、スター選手がこの授業から生まれれば、それが起爆剤となり、事業家を生みだす工学系大学としての新しい礎になりたい。そんな事例を作っていくことが私たちの目指す姿です。
企業のDX担当者へ。AI定着に必要なのは「体験」「仲間」「利害を超えたつながり」
Q. 企業の中でAIの浸透を進めようと悩んでいるDX担当者に向けて、組織にAIを定着させるためのアドバイスをお願いします。
西村さん: AIなどの最新技術は、やはり実際に触ってみないと分かりません。今回の講義でも、最初の課題で無理やりAIを使ってもらうと、「こんなことまでできるんだ」と感動する学生がたくさんいました。彼らはそこから「自分にはここまでしかできない」という勝手な思い込みの枠が外れ、課題でもないのに自分でアプリを作ってSNSで発信するようになったりします。
企業で導入を進める際も、まずは推進する担当者自身がたくさん触って、どこまでできるのかを深く把握することが重要です。そして、周りに「使って」と言うだけでなく、実際に体験してもらう「トリガー」を作り、その凄さを実感してもらうこと。エバンジェリスト的に伴走しながら進行させていく姿勢が不可欠だと思います。
下瀬さん: 「頭で分かっていても行動できない」という壁を越えるための処方箋が必要です。企業の方々とお話しして感じるのは、AI推進には3つの要素が必要だということです。
1つ目は「ペースメーカー」の存在です。最初の感動を味わうところまで、誰かが伴走してペースを作らないと、なかなか人は動きません。
2つ目は「仲間」です。一人では続かないことも、一緒に取り組むコミュニティや仲間がいれば、熱量が波及して自然と進んでいきます。
3つ目は、「学生と触れ合う」ことです。社会人になると、Z世代の学生の価値観に触れる機会が減ります。しかし、こういったアカデミアの場に自ら飛び込んでみると、純粋で素直な学生たちから教わることや、利害を超えたつながりから得られるものが数多くあります。そういう環境に飛び込んでみることも、AIを理解し浸透させる上で非常に大きなヒントになると思います。